お支度ボード

小学校生活もまもなく4年目を迎えるお豆ちゃんに、
今更ですが「お支度ボード」を作りました。

小学校に上がった時に作ろうと思っていたような気がするのですが、
小一の壁を乗り越えられずにいてすっかり記憶の彼方。
朝のお支度も、帰宅してからのあれこれも、
このボードを使ってスムーズに進むといいなとの思いで作りました。

昨日から本格的に運用開始。
自分でマグネットを移動して、キラキラ光る「できた!」の下に移動する達成感が気持ちいいようで、
「これがあるとやる気になる」
らしい。
朝出発する時間の時計の針は自由に動かせるようになっているので、
自分で時間を決めて朝のお支度が出来ました。
帰宅してからは、何時間経ってもピアノの練習と宿題が終わらずにいたのですが、
帰宅後1時間でどちらもどころか翌日の準備まで終了。
全部終わったら完全に自由時間なので、のんびりテレビタイムです。
あまりにも時間に余裕がありすぎて、お絵描きと転校するお友達へのお手紙まで書けました。

完璧!!!

もっと早く作れば良かったな。

「着物問わず語り」

昨年、中山壽次郎先生の事をお話しする機会に恵まれました。

一昨年(2022年)の5月からお世話になっている吉田手織工房で、

中山先生の著書を手にして頂く機会があって繋がったご縁です。

夏目漱石の一楽織(いちらくおり)の着物について調べておられた

安達絵里子さんが連載している「着物問わず語り」に

「中山工房のミニ同窓会」と題して掲載頂きました。

本日付けで公開されています。

工房外の方にも中山先生の著書を手にして頂き、織物に生きた先生の思いが伝わった事がとても嬉しく、次代に繋いでいく役割を微力ながら担っていこうと秘めて来た思いが再燃するのを感じます。

羽黒蜻蛉(はぐろとんぼ)の恩返し

カワトンボの一種である羽黒蜻蛉(はぐろとんぼ)が好きです。
黒いビロードのような艶のある羽根に、ボディは青から黄緑色へのグラデーションカラーで金属のような輝きを放っています。とても美しいトンボです。

今朝、乗車した電車にハグロトンボが迷い込んでいました。座席の窓辺を暴れるように飛んでいます。座っていた若い男性はトンボを避けるように別の座席へ移ってしまいました。
…これは、初めてハグロトンボに触れられるチャンスです。その座席に移って初めてハグロトンボを捕まえました。嬉しくて美しさに見とれてしまいました。そして、隣の女性に「ハグロトンボです」と紹介して窓の外へ放ちました。

その出先からの帰り道、お蚕さんの桑の葉を調達しようといつもの桑の木へ向かうと、なんと伐採されていました…とても大きくて厚みのある葉が育つ木だったのでかなりショック。止む無くもう一つのお気に入りの桑の木へ。せっせと葉を採っていると、なんとクワコさんがいるではないですか。しかも、3匹も。暑い中、自転車を飛ばしてここまで来た甲斐がありました。お豆ちゃんの帰宅にもギリギリだし、お気に入りの桑の木は伐採されていたしで、なんだかもうイライラしながらの採集だったのがウソのようにご機嫌に。

これは、今朝助けたハグロトンボの恩返しだったのではないでしょうか。そう思わずにはいられません。

Born & Reborn

Salon de G (銀座)にて開催

今日から銀座で手織りの教室展が開催されております。

2日前の夕方ようやく織り上がって(片袖だけ)、出品することになりました(片袖だけ)。出品出来るか分からなかったので、案内をどなたにも送ることができませんでした。既に始まっておりますが、お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。

吉田手織工房に通い始めて最初の作品です。
「私が生まれた日」と題して、冬の夕焼け空を織りました。私の手織り再開の意味も込めて。

23日(木祝)11〜13時に在廊しております。

吉田手織工房 横浜教室作品展
2023/2/22()25()
11:0017:30(最終日は16:00)
Salon de G(銀座6丁目4-6 646ビル9階)
https://www.salon-g.com/

藍草を搗け(あいぐさをつけ)

発酵が済んだ藍草を石で搗きました。
10㎝程度に丸めて中央を窪ませてから天日干し。
嬉しい光景。
握り易そうな石を畑で拾いました。

NHKの大河ドラマ「青天を衝け」は、毎回楽しく視聴しています。
その衣装も、藍玉を作る仕事も、全てが興味深く勉強になります。

そんな訳で、今日の記事は「藍草を搗け」。

発酵が終わった蒅を石で搗いて藍玉を完成させました。
3月に強烈なアンモニア臭が続いたものの、温度は上がらず…それでも、見た目も触感も蒅のようになったので今年はこれで藍建てするつもりです。師からのアドバイスでも製藍に関する文献を読んでも、(発酵でなくとも)繊維を壊せれば良いので、世界各地でおおよそ共通して行われている作業は、「搗(つ)く」という事なんだそうです。
畑で拾った握り易そうな石を使って搗きました。少し搗いただけでも滑らかになり、搗く前とは大分様子が違います。ステキな石臼でもあればいいのですが、今年はベランダで直接トントンと。丸めて中央を窪ませてから天日に干しました。

蓼藍(タデアイ)の種

師から分けて頂いた赤花小上粉のタネ
こんな大きさです。

今年も蓼藍の種を蒔く季節がやって参りました。
昨年まではプランター栽培でしたが、今年は畑が2つ増えたので2号畑と3号畑に大々的に蒔きます。
このタネは、染色の師から頂いた小上粉(赤花)のタネです。毎年少し分けて頂くのですが、タネ採りのタイミングを逃してしまって僅かしか手元に残りません…そんなわけで、毎年頂くこのタネが本当にありがたく貴重です。今年こそは、来年のタネを確保できるようにしたいと思っています。

この小上粉は、2号畑に。
種類の違うタネも染織仲間から頂いたので、そちらは3号畑に蒔きます。

たけのこほり2021

3号畑の裏山で、保育園時代の仲間とタケノコ掘り。
卒園してから10日振りで、お豆ちゃんと根々ちゃん感動の再会。ハグして「久し振りだね」と喜びを分かち合っていました。慣れない小学校生活の緊張が解けたのか、終始笑顔で幸せな時間を過ごしました。
10日も会わなかったのは初めてだね、と根々ちゃんの母さん。1歳の頃から毎日一緒だったから本当にその通りで、幼少期をこんなにも濃密に過ごしたかけがえのない友達とその時間に改めて感謝しています。

さて、肝心のタケノコは合計9本の収穫。私は相変わらず発見に至らず…みんなの後について行って掘るのを応援するだけでした。次回は頑張ります。

最高気温13度の予報だったので、ピクニックはなしでおやつだけ楽しみました。お豆ちゃんはタケノコを掘るから、と言って「たけのこの里」をセレクト。本物のタケノコより、こっちのタケノコの方が魅力的だよね、うん。

菜の花畑で花を摘んだり、蝶々を捕まえたり。山も畑も楽しいこと一杯です。

お人形さんのお布団

2021年の初仕事は、お人形さんのお布団作りでした。
ずっと作ろうと思っていたのに3年くらい先延ばしにしてしまいました。「作る作る詐欺」です。小学生になったらあっという間にお人形さん遊びも卒業してしまうんじゃないかと思い、焦って取り掛かった次第です。

番頭さんがイベント用に保管していたものを処分するというので、何か作ろうとしばらく保管していた生地を使いました。処分しようと思っていた生地なので贅沢に使ったら、こんなに華やかなお布団になりました。

お豆ちゃんはとっても気に入って、毎晩ベッドに運んで一緒に寝ています。そして、お豆ちゃんから追加で二組注文が入りました。がんばります。

紅絹と赤い帯揚げで
レトロなお人形さんを寝かせます。
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21年分の給与明細

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長年保管していた給与明細を断捨離しました。
社会に出てサラリーマンとして勤めていた21年分のもの。21年という年月は、数字で見ても記憶を振り返ってみてもものすごい年月だけれど、明細を積み重ねてみるとこんなものかと驚きました。また、内容を見てこんな数字だったかな?と自分の記憶の曖昧さにも驚きました。幾つかの会社を経験したので、明細から様々なことが思い出されます。楽しかったこと、苦しかったこと、学んだこと、後悔の念。本当に沢山の経験をさせて貰ったなぁ、と今は感謝しかありません。全ての経験が、今の仕事に生かせています。
ただ…一番最後に勤めた会社の給与が二十代の頃に勤めた会社の給与より低かったのには改めて驚きました。20も歳を重ねて出来ることがかなり増えていたのに。心の中でいつもそんな愚痴を言ってはいましたが、実際に数字を見ると、あぁこんなにも…と愕然と致しました。

でも、先にも書いた通り、全ての経験が今の仕事に生かせています。この21年の経験がなかったら、今の仕事は何もできなかったはず。番頭さんと二人、一から始めた仕事なので全て自分たちで作り上げなければなりませんでした。これからも自分の経験を頼りに進むしかありません。

多くの方が言うように、人生に無駄なものは何一つない。頑張ってきた自分と、経験させてくれた多くの方々に感謝します。

お手製の裁縫箱

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20年程前に作った鞄型の裁縫箱。ちりめんと当時廃棄予定だった黒いズボンを解いて作りました。働きながら夜間の服飾専門学校に通っていた頃に、道具一式を持ち運ぶ為に作ったものです。

当時は心のバランスを崩していて、通い始めたはいいものの制作するなどとても無謀な状態でした。それでも通うのに道具一式を収めたいと構想して2年。ようやく仕上がりました。沢山悩んで、頑張って通って、しんどくて苦しくて、学ぶには効率が悪い時期だったかもしれませんが、パターンを作ることができるようになって幸せでした。無理しても学んだからこそ、ウェディングドレスを縫うことができました。

そんな苦しい時期になんとか心を奮い立たせて縫った裁縫箱。持ち運ぶものが綺麗に収まるように設計したので全て収まってぴったりで、とても便利でした。今となっては持ち運ぶ必要がなくなり、お役御免となりました。私の大切な相棒でしたが、今日でお別れします。20年に渡って道具を収めてくれてありがとう。